大笑いのわけは…?

 おとといは、なんだかガラにもなくおもちゃ屋へ走り、昨日の早朝には、ヒコの枕元にそっと「トミカ ハイパーレスキュー コンテナはしご消防車」を置いてみました。「おもちゃ屋に踊らされている日本のクリスマスはいかがなものか」とか「自分がサンタを信じてたかどうか」というようなことはどうでもよくて、「いま、この今年、自分の目の前に『サンタさんが来てくれたみたいだよ』と言って枕元にプレゼントが置いてあったらとても喜んでくれそうな子どもがいる」という、ただそれだけが、私を「おもちゃのあおき」のレジに並ばせました。去年は、サンタやクリスマスについて今ひとつわかっておらず、ひょっとしたら来年はもう「サンタさんはいないんだよ」と言っているかもしれない。「3歳のクリスマス」って、そう思えば貴重かもしれません。

 さて、これは自分の日記にも書いたのですが、子どものことだったのでこちらにも。私は先日、佐世保にいらした甲野善紀先生の講習会に参加しました。その後の懇親会の時、長崎から迎えにきてくれていたヒコを、どうしても甲野先生に会わせたくて、途中から連れて行きました。ちょうど「なぎなた」に関する質問があっていて、甲野先生がなぎなた代わりの傘をマジカルなスピードでクルクルッと回して収めると、突然ヒコが大爆笑したのです。最初は、そのアクションの見た目が、たとえばこないだおゆうぎ会でやった「炎神戦隊ゴーオンジャー」みたいで面白かったのかな?と思ったのですが、とにかく甲野先生がなにか動きを決めるたびに、腹の底をくすぐられたみたいに笑うので、これはなにか別の要素が働いているに違いない…と感じました。まわりにいた人の中には「甲野先生動く→ヒコ大爆笑」の繰り返しに巻き込まれて笑いつつ、「これって、なんかあるとかな?」と言う人もいたので、そう感じたのは私だけじゃなかったと思います。甲野先生も笑っておられましたが、ひょっとしたら、甲野先生とヒコだけにしかわからない笑いだったのかもしれないです。
 なんだろう?
 これは想像なんですけど、人が大きくなるにつれて無くしてしまいがちなもの…身体や、身体が持っているエネルギーの自由かつ本来的な使い方というものがあり、ヒコはそれをまだまだ天然に持っていて、甲野先生は、まことに希有なことに、再び手にしておられて、それはなにか、無理矢理言うならば心や身体が「愉快」にもなり得るものだから、それを持つもの同士が共鳴して(ヒコにしてみれば、大人がそれを使うという意外性もあいまって)、あの爆笑が生まれたのではないだろうか。
 とにかく、あまり見る機会の無いものを見せてもらった気がしました。身体のことも、子どものことも、まだまだまだまだ、わからないことだらけです。そして多くは、その可能性を低く見すぎているようです。

 今年ももうすぐ終わりですね。私の当番、次は来年です。今年のはじめには、こんなブログが始まるなんて1ミリも知りませんでした。でも、今はすごく楽しみ。書いている、そして読んでくださっているみなさん、どうもありがとうございます。どうぞ良いお年をお迎えください!っていうか、どうなるホッチキスベイビー!