今週の豆知識

親になるって、ほんとうに思ってもみなかったことに遭遇することなんだなぁと思う。
「思ってもみなかったこと」は、もっと短く言うと「予想不可能だったこと」になるのだろうと思うが、予想不可能であるということは、常に予想が可能であるという事態とセットというか反転しただけなので、「思ってもみなかったこと」という語感のほうが、個人的にはしっくりくる気がする。あくまで個人的には。

と、そんなことはどうでもいいのだが、前回(11月22日のエントリー)のあと、いろいろ考えることもあったのだが、あまりにも断片的で、忘れた。

でも、以前、そういえばこういうギリギリ一杯になってしまうときに決まって思い出す文章があったなぁということを思い出した。しかし、それがどういう文章だったか思い出せないでいたが、ふと手に取った本にその文章があって、あっ、と思った。でも、一読後、なぜあんなにも或る一時期この文章に救いを求めていたか、ピンとこなった。

ジャック・デリダの『言葉にのって』(ちくま学芸文庫)という本の中の「正義と赦し」という対談を活字に起したものの中の或る箇所で、そこにはこう書いてある。

もし人が赦すことのできるものを赦すならば、もしくは釈明を見出すことのできるものを赦すならば、それはもはや赦しではありません。赦しの難しさは、つまり赦しが不可能に見える原因は、それが、まさに赦すことのできないでいるものに対して差し向けらなければならないからです。(上掲書202ページ)

一人のユダヤ人哲学者が「赦し」ということを問題にする背景には、もちろん第二次大戦間のあの大虐殺があるわけで、そういう重い問題と僕の個人的な子育て話をリンクさせるのもかなりアレといえばアレなのだが・・・。

たぶん、この言葉に込められた(と、その当時の自分が解釈した)「ギリギリ感」に、自分の気持ちが多少なりとも表現を与えられたことに救われていたのでないかと、今になって思う。

子どもと接するなかで出会う、もうダメ、いっぱいいっぱいです、メーター振り切ってるっす、な状況に対して、本やテレビの中のひとたちは『「一度、冷静になって、客観的に・・・」なんてことを言うが、冷静になって、客観的にみれるのであれば、お前たちにとっては最初からその程度の問題でしかなかったのだろう?冷静に、客観的に見れる程度のことだったのだろう?悪いけど、あんたたちはもうこの問題の外にいるんだよ。そんなやつらに偉そうなこと言われたくないよ」と、ホッチキス保育園開園時のすこし頭が狂った僕はそう思っていたのだろう。こう書いているうちに、あの当時の、すこし狂ったキナ臭い匂いを思い出した。

今の僕だったら、たぶんこういう読み方はしないと思うけど、それにしてもすごい読み込み方だ。ほとんど言いがかりに近いものがある。狂人のたわごとにつき、陳謝!と言えば、草葉の陰でデリダ本人も笑ってくれるだろうか?

いろいろ書いたが、結論としては、

「だからといってキレていいということにはならない」

ということか・・・。


さて、閑話休題。話を戻って「思ってもみなかったこと」であるが、ほんとに自分がそういう目に会うとは思ってもみなかったのだが、携帯電話を水没させた。
よくそういう失敗談が「数百人ぶんのデータが消えて超パニック」とかそんなどうでもいい本人のコメントと一緒に雑誌の投書欄に書いてあって、それを見るたびに「なんで携帯を水に落とすんだよ?」と思っていた。
きのう、家の近くの水源地へカモの一群を観にいったとき、ぼっちゃんと石づたいにカモに近づいていたのだが、あるとき、石の上で足がすべて僕だけ水に落ちた。ぼっちゃんが無事だったのは何よりだったが、ふと見ると、川の中にオレンジの物体が・・・。それはまさしく僕の携帯電話だった。でも、オレンジで良かった。これがグレーとかブラックとかシックな色だったら気がつかなかったかもしれない。
まだ使えるかと思って、妻に電話。つながったので安心したら、妻の職場の同僚で携帯電話の店にいたことのあるひと曰く、すぐに電池をはずして、ドライヤーで乾かせとのこと。電流が流れるのがいちばん危険らしい。

昨日は一時間ほどドライヤーをあってたり、夜もずっと暖房の上において乾かしていました。今朝、電池を入れると、どうやら何事もなく動くようです。とりあえずは・・。

というわけで、自前ブログで紹介した「新聞紙窓拭き」に続いて今週の豆知識は、「携帯が水没したら、バッテリー等をみんなはずして徹底的に乾かす」です。