ああ言えば上佑

若い人にはもはや意味不明なタイトルだろうが、とりあえずタイトルはあんまり意味がない。
週末はトンビ一家が、新車であるところの広島ナンバーのベンツ・ワゴン(ナンバーに8と9が含まれていて、あと3があれば完璧だったのに・・・なぐらいの迫力)に乗って遊びに来てくれました。12連CDチェンジャーに広島インディーズの爆音CDが入っていたり、防弾ガラスの疑いがあったり、かなりカッコイイ車でした。うちは12月に入ってから、里帰り出産のためにしばらく妻の実家に戻ることになっている*1ので、里帰り前の肉三昧というわけだったのだ。もちろん、肉だけが目的でもないのだが・・・。

最近、ぼっちゃんが言い返してくるようになった。ある日、どういう状況だったかは記憶も漠然としているのだが、とにかく、食事中に椅子の上にアクロバティックな立ち方をしているのを見咎めて、まずはお母さんが「危ないからちゃんと座って」みたいなことを言ったんだと思う。すると「バッ・・・」と、おそらく「バカ」と言い返そうとしたのだけれども、やっぱり言っちゃまずいかなと思ったのかどうかはしらないが、「バ・・・」で思いとどまったぼっちゃん。
しかし、次の瞬間、「○○ちゃん(保育園のお友達の名前)がバカって言うばーーい!」と、人のせいにして攻撃。確かに○○ちゃんはバカって言ってそうだけど、でも、それって単なる虎の威を借るキツネというか、っていうか、借りる相手も虎じゃないし。幼児だし。
この攻撃には他に「△△ちゃんがバシって叩くばい」とか「ゴーオンジャー(現在放映中のスーパー戦隊)が来るばい」など何パターンかある。ちなみに後者のゴーオンジャーのタイプにおいては親(特に父親)=悪者で、そこに正義の味方のゴーオンジャーがやってきて・・・というストーリーが一応あるらしいのだが、他力本願なところは基本的にかわりない。
最初はそんな方法論があるのかと可笑しくもあったのだが、だんだん腹が立ってきた。

いいかい?確かに、○○ちゃんはバカって言うかもしれない。△△ちゃんもバシって叩くかもしれない。でも、いまぼくらは君に言っているのだ。ほかでもない君に対して言っているのだ。彼らは関係ない。あぶないことをして自分や他人を傷つけるようなことはやめて欲しいし、ぼくらが「それは危ないし、怖いからやめて」と言ったらやめて欲しい・・・というようなことを、特にお母さんが懇々と諭す。この時、お父さんは「何言ってるんだ?もう一回言ってみろ。ねえ、ゴーオンジャーは?いま来るっていったじゃん。はやく来てよ。ねえ、黙ってないで何か答えてよ?」とまくし立てて、かなりキレ気味になっていて役に立たなかった。実際、しばらく僕は話しかけられてもぼっちゃんとは口をきかなかった。そのことでまたお母さんのほうからも気持ちの切り替えが悪いとチクリと言われて、そりゃぁゴーオンジャーでも呼ばれて退治されても仕方ない最低なヒールっぷり。ええ、そうですよ。どうせ、元はといえば黒いカンガルーですよ。

このような言い返しというものは、もちろん、ぼっちゃんの自己主張であり、どのようなかたちであれ、一つの成長の徴候として、もっと肯定的に、前向きに捉えるべきだろう。たぶん教科書(何の教科書だ?)にはそう書いてあるのだろう。でも、なかなかそうクールにはなりきれないところに自分自身の限界を感じるというか、やはり未熟さを感じてしまう。(ってか、ここで限界とか未熟とか言うこと自体が教科書的なのか?)もしかしたら、虐待を繰り返す親のなかには、こんな後悔と自分自身への失望を繰り返しているの人も多いのではないだろうかと思ったりした。いや、実際、聞き取り調査とかしたわけではないので、あまり断定的なことは何一つ言えないのだが。しかし、もし仮にそうだとすると、彼らと自分自身がまったく別の人種であるということは誰にも言えないということに、ちょっとドキッとしてしまう。

*1:わが町も去年かおととしぐらいに産科が実質ほとんど閉鎖。週一度の検診のときだけお医者が山を上ってくるが、出産はもうこの町ではできない。小児科もなくなるという噂が立っては消え、消えては立って・・・な状態。