ぱんたくろうさん

supply72008-11-21

 新聞や雑誌のちょっとした投稿欄に、子どもの「いいまつがい」が載ることがよくあります。その「ほのぼの感」が、特に若くて尖っていたころはどうも苦手だったのですが、いざ自分の子どもが喋りだしてみると、たしかにおもしろい。ほのぼのしちゃう、というよりも、言葉の意味とか響きについて、あらためて考えさせられます(市民病院を『しにんびょういん』と言った時にはぎょっとしましたが)。
 いま、ヒコはカルピスがお気に入りなのですが、彼はそれを「カルスピ」と発します。言葉の中のある二文字が入れ替わるのは、よくあることなのかもしれません(幼少のがばちょさんは、大好きだったテレビ番組「いきものばんざい」を「いきのもばんざい」、「お好み焼き」を「おこみのやき」と言っていました)。でもそう言われてみれば「カルスピ」のほうが、なんだか爽やかな感じがしておいしそうなので、我が家では次第に「カルスピ」が普及してきています。
 しかし子どもの「いいまつがい」は、発音や聞き取りの能力によるものも多いから、親がおもしろがってそれを使い続けていると、言い出した本人からあっさり修正されることも多いです。長崎〜佐世保間の電車「シーサイドライナー」を、ずっと「しーさいどらー」と言っていたので、先日ダンナが「ほら、ヒコ、シーサイドラー」と言ったら、「シーサイドライナーだよ」とたしなめられました。「カルスピ」も、いつの日か、鼻で笑われるのかもしれません。
 もうすぐシーズンなので、最近よく登場するのが「ぱんたくろうさん」です。…そう、サンタクロース。これもまた、ただの聞き間違い、あるいは発音しにくさ、なのでしょうけど、この微妙な「外来語日本語化テイスト」に、ハッとしました。サンタクロースなんだろうけど、よく見ると、赤いどてらに風呂敷包みを背負っているような…。
 長崎には、キリスト教にまつわる様々な歴史や文物が残されています。中には、いわゆるカクレキリシタンと呼ばれた人々が、激しい弾圧のもとで、ひっそりと信仰を守るために描いた聖人達の絵(納戸神)や、観音様に似せたマリアさまの像(マリア観音)、口伝えでつないだお祈り(オラショ)というようなものがあります。(たとえばこちら。http://www.ikitsuki.com/yakata/kiricult/index11.htm カクレキリシタンの島として知られる生月の博物館『島の館』のHPより)つたなさ、聞き間違い、伝え漏れ、そして日本化。もはやヨハネはちょんまげですが、しかし、これは彼らにとっては、聖ヨハネです。
 時に命をかけた信仰に関するものと、子どもの「いいまつがい」を一緒にするわけではないのですが、「これから身を寄せるまったく未知の世界のものごとの膨大なインプットと、自分の能力や環境に応じるしかないアウトプットの間に起こる取りこぼし」という点では、共通しているような気がするのですが、どうでしょうか。
 長崎の街角には、しばし「丸屋」「マルヤ」という屋号を持つ店があります。これは多くの場合、その意味は「マリア」です。もうすぐクリスマス。私はクリスチャンではないのですが、この町のクリスマスは、たぶん、日本のほかの町よりももう少し、土臭く、切実で、祈りのあるものです。