タコ踊りと重い雲

 できたばかりの大きな商業施設にうどんを食べに寄ったら、知人が赤ん坊を連れていました。生後2ヶ月とのこと。「ちょっと大きい」そうですが、ちょっともなにも、「生後2ヶ月」という状態がどんなものなのか、自分がまったく思い出せないのが驚きでした。本当に、心の底から何も思い出せないのです。どんな顔をしていたか、問いかけに対してはどのような反応をしていたのか、おっぱいはもう順調だったのかそうでないのか、ひとかけらも、です。
 「二人目は楽よ〜」とは、よく言われることですが、ひょっとしたらこのあたりも作用するのでしょうか。頭では何にも覚えていない気がするけれど、たぶん、体はいろんなことを覚えているから…一日、一時間、一分一秒を、はしょることなく過ごしてきたから…一人目では悪戦苦闘してそれどころじゃなかったことをスイスイとこなしつつ、赤ん坊に対する気持ちはフレッシュ!ということがあるのかも。個人的には、一人目で悪戦苦闘しすぎて燃え尽きた感もあり、この仮説が確かめられるかどうかはわかりませんが…。

 ヒコはよく、知らない人やあまり会うことのない人から年齢や名前を聞かれて、ぐーっと顔が曇り、黙ってしまうことがあります。子どもにはよくあることなんでしょうけど、にっこりと話しかけてくれた人に申し訳なくもあるので、「どうしたと〜?」と聞くと、決まって言うのが「だってはずかしいもーん」です。たった今まで、そのへんの不特定多数の人にタコ踊りを披露していた人が、その中の一人に年を訊ねられた途端「はずかしい」も何もあったもんじゃなかろう、と思って不可解だったのですが、自分のことを顧みてみれば、強烈に腑に落ちました。私自身も、自己紹介、ましてや売り込み的な言動行動が非常に苦手で、零細自営業者ゆえそれについて非難されることさえあるのですが、それがどうしてなのか、と言われたら、まさに「はずかしい」からなのです。その「はずかしさ」、というのが、なんともいえない感触をしていて、体の奥底からわき起こってくる重たい重たい雲のようなものなので、それを振り切って行動するのは、なかなか簡単なことではありません。これまで何度「あー、ここであの人に『私、こんなこと書けま〜す』なんて言えれば、仕事のひとつも決まるんだろうにな」と思ったことか。でも、変な話ですが、テレビに出るのはわりと平気です。「タコ踊り」はできるわけです。
 これに思い当たったとき、ヒコの「はずかしいもん」は、単なる子どものモジモジではなく、ひょっとしたら私の「重い雲」を受け継いでしまったのではなかろうか、と不安がよぎりましたが、しかし、私がそれでもなんとか生きているように、彼も彼の性質を抱えながら生きていくのだろうと思います。…とはいいながら、時には、どういう風の吹き回しなのか、道ですれ違ったまったく知らない人に「こんにちわー!いまからミニカー買いにいくとよー!」と話しかけることもあり、これは私にはまったくない要素ですので、まぁ、うまくやっていってくれると思うし、「地球の裏側でも生きていける人」というのが、ヒコの全体的な印象なので、たぶんそうなんだと思います。ただ、そうでありつつも、どこかには「重い雲」もあることを、私だけでも覚えていておきたい。だれもが「ヒコらしくない」ということをして、たとえ追いつめられる時が来たとしても、一人くらいは「そうでもないさ」と言える人がいたほうがいいはず。「だってはずかしいもんねぇ」って。そしたら、そこからまた、歩いていけると思うので。