私は傷ついていたのだと思う

つい先日、おっぱいマッサージの先生から「みんなに断乳の話をしてあげて」とのご要望があったので、まだおっぱい生活中のお母さんたちに断乳の話をしに行ってきました。「いや〜、私にとっては試練だったので、いい話ひとつもできませんよ」と当初は尻込みしていたのですが、先生は「ええの、ええの。」・・・まぁおそらく「いろんな断乳のかたち」があっていいということをお伝えするお役目としてかり出されたのでしょう。そう思って、「ありのまま」をお話してきました。

ところで私の場合夜の授乳生活が辛くなり、娘が1歳3ヶ月のときに(桶谷式の)断乳をしました。周りのお母さんたちが割とあっさり断乳ができている中で、私とこ初々さんの断乳は「それはそれは大変」なものだったのです。まず「こんなにも泣く力のある人だったのね!」と驚くくらい、泣く泣く泣き叫ぶ・・・今までおっぱいで全て解決できてきたことが全く出来なくなり、色んな場面で泣き叫ぶこ初々さんを前に「持ち駒がもう無いのいよ・・」と途方に暮れるハハ。気づいてみると体調もすこぶる悪く、こ初々さんとの生活がちっとも楽しくないばかりかユウウツ。カナさんもおっしゃっていましたが、まさかこんな風に自分がなるとは思いもしなかったくらいの、ひどーい鬱状態に陥っていました。

その危機を脱し、「断乳を振り返って」語ってみることにして気づいたこと。それは、「私は、傷ついていたんだなぁ」ということ。何に傷ついていたのかというと、「あなたでは満足できない」と言われ(続け)ることに対して、だったように思います。今までおっぱいで(渋々ながらもという場合もあったでしょうが)満足させてあげられていたのに、「私では」この子を満足させることが出来ない。その事実に、私は傷ついたのだと思うのです。この子にとって必要なのは、「この私」ではないのか?・・・渦中にいる時にはそんなことを自覚的に問うていたわけではありませんが、おそらくそんな「のっぴきならない」問題に直面させられて、どどーんと鬱状態にはまりこんでいっていたように思います。

そんな泥沼からどうやって抜け出してきたのかは分かりませんが、やはりパックリと開いたその傷を癒してくれたのは、こ初々さんにほかならないような気がします。おっぱいのことを(たぶん)忘れ、「かーか!かーか!」と抱きついてくる、かわいい盛りのこ初々さん。おっぱいなしの、新たな母子関係を構築していくのに人よりずいぶん時間がかかりましたが、それでもようやく一歩前へ出ることができているのは、こ初々さんの成長がうんと助けてくれている部分があります。

「(断乳は)お姉ちゃんになり!と背中を押してあげること」だと助産師さんはおっしゃいましたが、それはハハにとっても同じことで、「おっぱいに頼らず、ちゃんとハハになり!と背を押された」体験でした。しんどいこともたくさんたくさんありましたが、それぞれが「ひとまわり大人になる」かけがえのない機会。そんな機会を持ててよかったのだなぁと、今では思えます。