ヴィッキーとロマンスグレーの危機一髪

隣を歩いていた我が子がべちゃ! と転んだ。さあ、♪あなたなーらどうするー?

マドリード州の規定変更で保育園にベビーカーを置いておけなくなった。片道約400mの距離を、ニーニャ1歳9ヶ月、徒歩で通園している。デ・ジャ・ヴュ。と思ったら、長崎水族館*1のペンギンの散歩だ。私が小走りで3分半の道のりを、25分くらいかけて歩いている。なんせ目の前に現れるすべての「ぶっぶー(自動車)」や「ピヨピヨ(鳥)」や「アッパ(葉っぱ)」にいちいち驚き、報告しなければならない。とても歩いているヒマなぞない。しかも今朝は交差点に踏ん張って素敵な笑顔でみんなに手を振るものだから、手を振り返してくれていた心優しいベッカム妻風サングラスのおねーちゃんが、同じく手を振り返してくれつつ右折しようとしたロマンスグレーのアウディに危うく轢かれそうになった。すんません。

歩く分、転ぶ。一昨日は、はじめて膝小僧にすり傷も作った(ツレが手を引いていたからね、とは言わない。書いたけど)。公園のベンチでくつろいでいた見知らぬおじいちゃんに「ほう、君に転び方の金メダルをあげよう!」と言われたくらい*2わりとスローに上手に転ぶので、たいがい鼻骨骨折とか脳震盪とかは起こさずに、洟と涙を飛ばしてぶんぎゃー! と泣くくらい。さて、どうしよう。花田花男松本大洋花男』)は息子が転んだとき、たしか優しく抱え起こそうとする妻を制して「起て、茂雄。お前の2本の足はそのためについているんだよ」というようなことを言っていたが。


ところで僕はロックが好きだ。ロック的なことがどうしようもなく好きだ。『花男』と同様にスペインまでもってきて愛読している3冊の漫画のうちの1冊『アイデン&ティティ』(みうらじゅん)を昨日読んで、つくづくそう思った。自分を知るための実験。才能なんてない、それを知ったがために生きづらい、でもそれなしでは息もできない。強烈な光に照らし出された恐ろしくちっぽけな自分のサイズで、傷ついて恥かいて生きること。ああ、僕はこんなにもロックを待っていた。死の淵から魂を呼び返す鮮烈な芳香。病室の窓際でガリリとこの酸っぱいものに噛りつく。

ともかくロックならどうするか。ジョン・レノンは「道を渡る前は、ちゃんと手ってをつないでね」と息子ショーンに言っていた*3。「人生ってさ、何かをせっせとやってるときに起こる、それとは違う出来事なんだよね」と。それなら「一生懸命せっせと歩いてようやく家まであと数歩の階段まできていよいよ最後の一段、その時どこかから聞こえる救急車の音に気を取られて足元がお留守になって転倒」なんて、人生そのものじゃないか。とすれば、「おめでとう」と祝福するのがロックだろうか。「いままさに、正しく君は、生きている」。そういや花男も茂雄に言っていたなあ、「冷たいか? それが、海だ!」と。感じろ、それぞれの生を、そのリアリティを。


ところで僕は文学も好きだ。ロック的なものとしてどうしようもなく好きだ。文学ならどうするのだろうか。スペインからこつこつと本の代金と同じくらいの送料を払いつつ購入した蔵書のなかで、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)は、ぐっときた。『ライ麦畑でつかまえて』未読だったし(アイドルが木陰から「つかまえてネ」と顔を出す、そういうイメージだった)、超絶なはずのその文章はちっとも覚えていないのだけれど、読後の感想なら鮮明に覚えている。「子どもから、間違う自由を奪っては、けっしていけない」。隣で育つニーニャに対しての自分の身構えというものをひとつ挙げるとしたら、今日のところはこれだ。子どもは子どものロックを生きるだろう。僕はただ、ライ麦畑の崖っぷちにいて、時々ボールを追いかけてきて崖から落っこちそうになる子どもをキャッチする、キャッチャーでありたい。(と書いて気づいたけど、ここも内田樹師匠の言及の受け売りでした)

「階段危ないから、スロープで降りれば?」という年の功の意見を無視して見事に間違い、すってん転んで膝小僧を擦りむいて生のリアリティたる痛みをジカジカと感じている娘を、おめでとうと祝福する。うん、こんなところがいいだろう。と傍から見ればただボンヤリと佇むだけの私を押しのけ、ツレが、愛娘が車に撥ねられたくらいの勢いで彼女を抱え起こし熱く抱擁しメロメロに優しい言葉で慰める。たいがい「甘いのう」と思い、しかし「でも自分なら、間髪入れずぎゅーってされたいかも」とも思うので、たまには私もその「ツレ式」でやる。7:3くらいかな。いや実は五分五分くらいかも。まあいい。「なにをやるか」よりも「どうやるか」の方がだいじで、10:0の原理主義でないことが、私には重要。それにこうしていちいちうじうじ悩む、逡巡する、それこそがロックであり文学であり、そう生きざるを得ないマミーちゃんの飾らない姿なんだ。たぶんね。I know 答えはない、でも君がそうして問い続けていること、それこそが答えだ。ええ、これも友人寄贈の本の受け売りなんですが。チープだぜ、俺! Yes, Rock is Cheap Thrills.*4.

*1: いまは名前が違うはず。

*2: 北京オリンピック開催中のこと。

*3: 「Beautiful Boy」より、意訳。次の「」内も。

*4: 「チープ・スリル」は、ジャニス・ジョプリンのアルバムタイトル。でもほんとはいったいどういう意味なんだろう?