頭に草履をのせてスリロポン

(業務連絡・・・金曜日のくんちの映像を画面上に表示してみました)


土曜日更新のはずが、いま隣でぼっちゃんが『Yes!プリキュア5 GOGO!』を見ながら「ミルキーローズ・・・」と呟いていることからも推測されるとおり、今日は日曜日。ぼっちゃんはプリキュアの前にある『仮面ライダーキバ』は途中で飽きてしまうが、いとこのふたごたちの影響からか、プリキュアが好きそうだ。
きのうはぼっちゃんの保育園の運動会で、夜は早々に父子ともに撃沈。ついでに母も撃沈。運動会当日は自分の出番(ポニョの歌にあわせて親子ダンス)よりも、地元消防団のデモンストレーションに興奮気味だったぼっちゃん。たしかに、いままで絵本や図鑑のなかのものでしかなかった敬礼や、「放水開始!」と「放水やめ!」の掛け声、さらにはまさにホースの先から勢いよく放射される水までを眼の前5メートルの距離で堪能。そのために父は15キロのぼっちゃんを抱えて校庭の長方形の長いほう2往復(発電機ヴァージョンと消防車ヴァージョンの2回)しなければならなかったのだが。
さて、ぼっちゃんはついに、というべきか、「なんで?」「どうして?」「○×△▼なですこへ?」と質問攻めブーム。しかし、質問とそれに対する応答というよりは、禅問答に近い。
ぼ「なんでゴードン、ドシンしたの(事故ったの)?」
ホ「脱線したからだよ」
ぼ「なんで?」
ホ「いじわる貨車が押したんだよ」
ぼ「パーシーは?」
ホ「(心の声:えっ?なんでパーシーがここででてくるの?)ああ、パーシーは操車場にいるよ」
ぼ「なんで?」(以下続く)


こうして書いてしまうと別になんてことはない会話なのがくやしい。確かにもっと難解なものもあったはずだが、あまりに論理が破綻していてほとんど記憶に残っていないし、それを文章にする力が今のところない。無理やり書くと、

ぼ「○×△▼なですこへ?」
ホ「埴輪が好きなんだよ」
ぼ「ちがうな〜」
ホ「じゃあ、スリロポン(父がその場で作った造語)だよ」
ぼ「そうなの?」
ホ「そうだよ」

といった感じだろうか。
もしかしたら、そもそもこういうときに論理的な回答や、筋の通った答えをしようとしても無駄なのかもしれない。でも、この「論理的でない答え」ということが難しい。すぐに頭の中で「Aということは、そこからするとBということで・・・」と考えてしまうのだが、理想としては、思考が中枢までいってもどってくるのではなくて、もっと動物的に、卓球のラリーのようにポンポンと、口が勝手に答えるような状態が望ましい気がする。
で、こんなこと偉そうに言っているホッチキスはというと、生まれたときから無口なので、そういうことが実は一番苦手なのだ。だからどうしても「それは・・・」と考えてしまうがのだが、そうなると「思考するがゆえに思考がストップする」というなんとも物悲しい身の上・・・。
なんか、あれだな。タイトルは忘れたけど何とかという禅問答集の中に「猫に霊性はあるか?早く答えないとこの猫殺すぞ」と師匠にと問われた弟子たちが答えに迷ってしまって、結局猫は殺されてしまって、その話をお使いから帰ってきた一番出来のいい弟子が聞くと、いきなり草履を頭に載せて歩き出して去っていた・・・という話(うろおぼえ)思い出した。
この話の意味はよくわからないけど、こういう、難問に対して「草履を頭のせて走り去る」ようなフットワークの軽さって、子どもと接するいろんな局面でなかなか威力を発揮しそうなのだが、残念ながら、ホッチキスにはなかなか難しい。
でも、こうやって問答すること自体が大切なのかもしれないとも思う。回答の良し悪しは別として。だから、誠意をもって適当に答えていきたい。