網打ちの孤独 

 長崎は、あと1ヶ月で「くんち」です。くんちの奉納踊りでは、龍踊や船もののお囃子、コッコデショの太鼓など、子どもにしかできない役割がいくつもあります。中でも、たぶん、最も大きい役割だろうと思うのが、川船の「網打ち船頭」。大人たちが船を曳いたり押したり回したりという演技が始まる前に、小学生の男の子が、船の舳先から網を打って、魚を獲るんです。獲るといっても、本物の魚ではなく、作り物の魚なのですが、網は本物です。あの、漁師さんが(もはやそんなことをする漁師さんもあまりいないでしょうが)ブワッと広げて魚を獲る、あれです。彼らは、網打ちになると決まったその日から、ひたすら網を打つ練習をします。夏休みともなれば、朝から網を打ちます。網打ち船頭になる子の家は、だいたい古くて大きい家…長崎の人であれば、「あぁ、あの店ね」みたいな家がほとんどです。くんちの出番は7年に1回ですので、その役をできるかどうかは、その子の年回りにも大きく関係するのですが、ホントかウソか「それに合わせて産む」努力がなされているとも言われますし、某有名カステラ店には、本物の船の舳先そのままの「網打ち練習台」があるとかないとか…。
 まぁしかし、そうやって大人たちがいろいろ考えたところで、網を打つのは本人です。くんち本番での緊張感は、大の大人でも身がすくみ、足がふるえ、頭が真っ白になるそうです。それもそのはず、いちばんの舞台の諏訪神社の踊り馬場は、三方を階段状にぎっしりと観客が取り囲んでいて…スペインの(!)闘牛場みたいな感じを想像してもらうといいのですが…もちろんそこには「神さま」がいるという設定で、テレビカメラも四方八方から構えていて、そんな中、網打ち船頭は、すべての人の視線と期待を一身に背負いながら、網を打つんです。船を曳いたり、龍を踊らせたりするのも、そりゃ大変ですが、これはいわば連帯責任です。でも、網打ちはたったひとり。その孤独たるや、まったく想像がつきません。ひょっとしたら、大人じゃ耐えられないかもしれない。これを経験すると言うことは、その後の人生にどんな影響をもたらすのだろう、と思います。具体的にどうこう、ではなくても、きっと得難い底力がそなわるでしょう。
 網打ちには遠く及びませんが、ヒコも今年、縁あって、龍踊りの「ガネカミ唐人」で祭りの行列に加わることになりました。龍が登場する前に、ゾロゾロと前を歩くだけなんですけど、そして大きくなったらきっと忘れちゃうんでしょうけど、でも、(これは自分の日記にも以前書いたことがあるのですが)ヒコが大人になって、たとえば長崎を離れて暮らしていて、なにかつらいことがあったりしたとき、ふと長崎に帰ってきて「なんとなく」心が安らぎ、「なんとなく」またがんばろうという気持ちになってくれることがあれば、その「なんとなく」にはきっと、ガネカミ唐人になって、みんなから祝われた時のことが組み込まれているのではないかと思うのです。私が「好きねぇ」なんて言われながら、せっせとヒコを「長崎的空間」に連れて行くのは、そんなねらいもあります。ま、「好きねぇ」が大半ではあるんですけど。今回も(あくまで)付き添いとして、踊り馬場を歩けるのが楽しみでたまりません。昨日、くんち当日の着物の着付けの予約をしてきました。ええ、好きですとも!
 もしくんちのニュースなど目にする機会がありましたら、そんなことも思いながら見てもらえれば、と思います。あの子たち、夏中がんばったんだな、って。一生に一度の、大役なんだな、って。


 youtubeで探したら、ありました。(ここに表示するのがうまくいきませんでした。)いくつもあったんですが、とりあえず、「長崎くんち 榎津町『川船』網打ち 2001」を見てみてください。これを、大観衆の中でやるんですよ!

http://jp.youtube.com/watch?v=jsN2h_dd93U