オチなし三題

その1
論文書きや、その他ちょっとじぶんのことにかまけているとき、ぼっちゃんがツカツカとぼくのとなりに来て一言。

「トッチ、オコッテル?」

はじめて言われたとき、最初の一秒ぐらい何を言われたのかわからなかったけれど、脳内でそれが「トッチ(僕の下の名前がトオルなので、ぼっちゃんは僕のことをこう呼ぶ)、怒ってる?」と聞いてるのだとわかったときはかなりあせった。なんてことを子どもに言わせてるんだろう?鬼父か?俺は?
「お、お、お、お、お、お、怒ってなんかないよ。ち、ち、ち、ち、ち、ちょっと、お仕事が忙しかっただけ。」と言うと、ちょっと安心したみたいにまた一人で絵本をみたり、トーマスの人形(彼らの形状からして人形と言っていいのかわからないが・・・・)で遊びだすぼっちゃん。
よほど鬼の形相でキーボードを連打していたのだろう。もしかしたら「ゲームセンターあらし」みたいに連打しすぎで炎が出ていたのかもしれない。でも、たとえば、やはり僕とぼっちゃんが2人きりのとき、僕が台所で洗い物をているときなんかは、こういうことは言わない。せいぜい「何か食べたい」ぐらいだ。
それ以来、僕が考え事なんかでちょっと黙っていたり、行った先の店が定休日だったりして「ちぇっ」と舌打ちしたりすると、「トッチ、オコッテル?」「トッチ、オコッテナイ?」と聞いてくるぼっちゃん。なんだか、自分がいつも怒ってばっかりで子どもに親の顔色をうかがわせている鬼親みたいだよ、ほんとに。
でも、ほんとうにすこし真面目な声で、怒るまではいかないけど、注意すると、「トッチ、オコッテル?」とは言わない。たぶん、聞くまでもないのだろう。
そういえば、書いていて気づいたけど、最近は言われなくなった。ブームが過ぎたのかもしれない。もしかしたらぼっちゃん本人も、てきめんに「トッチ」が動揺するのをみて、いろいろと使ってみた時期だったのかもしれない。


その2
まだ妻が職場復帰して間もない頃、すなわちホッチキス保育園の初期で、ぼっちゃんがまだ6ヶ月ぐらいの頃だただろうか。その頃よく読んであげてたのが『赤ちゃんのための色のえほん』だ。

赤ちゃんのための色のえほん

赤ちゃんのための色のえほん

いくつかのエピソード(?)があるのだが、その中でも、「きいろい ぽけっとから/ぴよ ぴよ/ぴよ ぴよ ぴよ/きいろい ぽけっとから きいろい ひよこさんが ぴよぴよ」というところでいつもぼっちゃんは大笑い。ほかにも青や赤や白のエピソードもあるのだが、とにかくこのぴよぴよのところでやけにウケる。だもんだから父もしつこくリピート。そのたびに大笑いするぼっちゃん。絵本の中のヒヨコが可笑しいのか、それとの「ピヨピヨ」という音が可笑しいのかはわからない。もしかいたら、そうやって絵本を読んでる僕の顔が可笑しかったのかもしれない。別に絵本を読まなくてもふだんからおかしい顔なのだが。


その3
車の6連奏可能CDオートチェンジャーは、ほぼすべて童謡、きかんしゃトーマス、ゆうがたクインテットアンパンマンなど、完全にぼっちゃん仕様。しかし、その間隙を縫うかのごとく入っているのが妻の大好きな松田聖子。実はぼっちゃんも大好きだ。ぼっちゃんの「せいこちゃん、ちょ〜〜〜〜だい!」は松田聖子のCDをかけろという指令だ。
何なのだろう?最初は、声に何かしらNHKの歌のお姉さん的なものがあるからかなぁとも思っていたが、好んで聴かれる曲と、ぼっちゃん曰く「これ、せいこちゃん、ちゃうよ(これ聖子ちゃんじゃないよ)」と言われる曲と、はっきりと区別が存在している。好まれているのはいたって初期のころのアイドル時代の曲で、否定されているのは比較的最近の「Seiko Matsuda」もの、つまり聖子ちゃん自身が作詞作曲したアーティスト指向のもの。一方、聖子ちゃんのアイドル時代のものって、歌声が素晴らしいのはもちろんこと、詞は松本隆だし、作曲も細野っちや、大瀧君たちだ。数ある松田聖子のベスト盤のなかでは最強といっても過言ではない『松本聖子BIBLE』を最近入手したが、アイドル時代の傑作がほぼ網羅されているdisc1はさすがにぼっちゃんからのクレームはなし。
絵本にしろ、聖子ちゃんにしろ、ぼっちゃんたちは大人が考えている以上に、何かを、概念的にではなく、すごいキラキラとか心地よいヴァイヴレーションとして、身体的にダイレクトに感じているのかもしれない。「こどもだまし」という言葉があるが、子どもはだまされない。だまされるのは大人だ。あと、彼らがあるものを好きになるっていうことは、もちろん生まれつきの性格からくるものもあるだろうが、何か新しいものに出会うことの喜びも大きいのではないだろうか。大人の僕らでも、ある表現を前にして、それまでの認識の枠組が組み替えられるて、それまでの枠組みなんて意味をなさなくなるような経験をするときがある・・・ような気がする。急に具体例は思い浮かばないけど、例えば中学生のころに坂本龍一マーラーの曲に出会って、いままで聞いてきたJ-POP(そのころはそんな言い方はしなかったけど)がすっかり色あせたものに思えたり・・・。そんな経験の原型みたいなものは、ぼっちゃんたちはとっくの昔に出来上がっていて、そしてこれからもどんどん壊して、作って、壊して、作っていくのかもしれない。
そういうわけで、僕もCDチェンジャーの間隙を縫って、クィーンのベストを入れてみた。