いつか、ポトリと。

 「頻コール」かぁ…。すべてをしょいこむことなんてできないのに、やろうと思えばできるような気がするのが落とし穴というか、真綿で首が絞まっていく感じですね。しかもそれが快感に錯覚できることもあったりして。つまりはいろんな意味で、風通しが良くないのだろうな。
 風…。風は大事だ。「いま、新しい風を!」なんて言っちゃうと、にわか政党のポスターみたいですけど、古い神社のなにが気持ちいいかって、かならず、素晴らしい風通しのポイントがあるところです。風水とかよくわかんないけど、ふわーっと清潔な風が吹いてくるのは、理屈抜きに気持ちがいいですね。
 …どこが子育ての話かよくわかりませんが、出産準備にしても、育てることにしても、人間関係にしても、「詰めちゃう」と、あんまり良くないですよね。「完璧を期」したりとか。精神的密室状態。やってる人にとっての「完璧」が、違う目で見たらただの「偏り」だったりすることは、よくある話。その人にとってのベストを尽くすことは大切だけど、どこかで、「それとはぜんぜん違うやり方」が存在することも、心の片隅にそっと置いておいた方がいいと思うし、子育てに限って言えば、「これがなくちゃ」「あれをさせなくちゃ」というのはだいたい幻想で、ほとんどの物は無くても死にゃぁしないし、あせって何かをさせていい結果になることはひとつもないな、というのが実感です。
 それでもひとつ、「はやく導入すりゃ良かった」としみじみ思ったのは、母乳パッド。これは逆に「タオルで代用できるし、使い捨てる物はなるべく減らしたい」なんて、ご立派な考えによるものだったのですが、「乳タオル」の洗濯と(乳臭いので別洗い)、家ではまだしも、出先でごわごわかさばることを考え合わせれば、とっとと買うべきでした。使ってみた時の、何かから解放された感じは、今でも忘れません。
 「あれをさせなくちゃ」に関しては、母子手帳育児雑誌にどんな目安が書いてあろうとも、「機が熟せばあっけなく移行する」というのがすべてだと思います。努力したって食わねえもんは食わねえ。座らないもんは座らねえ。しゃべらないもんはしゃべらねえ。でも、その子にとっての、その時が来れば、くだものがポトリと落ちるようにあっけなく食べるし座るし、しゃべるようになる。まー、それが待てないってのが、また人情ですけどね〜。
 毎日、保育園帰りには、消防署のまわりをグルグル回らされています。このガソリン高のご時世にあって、じわじわと町中を高燃費走行するのは、かなり痛いです。みるみる「残高」が減っていきます。昨日などは、一台出動していた救急車を「入り待ち」させられました。張り込みの刑事みたいに、消防署の前で待つんです。救急車を。「一生通うわけじゃなし」と自分にいい聞かせながら…。