納涼四題

(業務連絡・・・トンビさんが23日に書かれた「しかぶり考」は、金曜日担当の方が書かれたものなので、そっちでまとめたほうがいいかなぁと思い、とりあえず22日〔金曜日〕のほうに動かしました。)

その1
夏休みを妻の実家でいとこたち(女の子。ふたご。5さい。)と楽しく過ごしたぼっちゃん。2歳と5歳なので、まだ対等に遊ぶというわけにもいかず、なおかつ男の子と女の子という違いもあって、友達というよりも、保護者と被保護者というような関係だ。とにかくいとこたちがしていることがやりたいし、持っているものがほしいぼっちゃん。
ふたごたちのお土産として買った「プリキュア5 GOGO!」時計(一個400円って、どういう値段設定なんだ?時計として安いのか?高いのか?)が、自分も欲しくてたまらないぼっちゃん。でも、お母さんから腕にマジックでアンパンマン時計を書いてもらったら、落ち着きました。
ふたごのおかげで、だいぶ「プリキュア5 GOGO!」に詳しくなったぼっちゃんと、その父。プリキュア5はファイブと言いつつも、5人ではなく6人だ。そのあたりの謎をふたごたちに聞いてみたが、よくわからない説明(でもふたごたちには筋が通っている)ではぐらかされた。まぁ・・・いいか・・・・。

その2
ぜんぜん子育ての話と関係ないけど、研究室の夏合宿に飲み会だけ参加。僕の指導教官の恩師が今年の2月に亡くなった。ぼくはその人の本を学生時代から読んでいたので、なんだかその死の知らせをニュースで聞いたときは、昔から知っている人が急にいなくなった感じで、ポッカリと驚いた。で、飲みながら、先生からその先生の先生の最後の日々のことを少し聞いた。この業界の大家であり、弟子もそれこそたくさんいたが、死期が近いと知って尋ねてくる弟子達の見舞いはすべて断り、最後の最後まで論文を書いていたそうだ。僕は単純なのでちょっとジーンときて、家に帰ったあと、その先生の本を本棚から取り出して読む。
「哲学における方法的態度は、むしろ、そうした思索の努力の中で、おのれの歩みを他の歩みと対決させ、反省的に位置づけようとするときにのみ、意識的に形成されてくる。問題現象が、方法を要求するのであって、逆ではない。」(渡辺二郎『内面性の現象学』p.104)
「問題現象が、方法を要求するのであって、逆ではない」・・・か・・・。う〜ん、要するに、「見る前に跳べ」ということだな。ちがうか?まあ、ちがうかどうかはどうでもいいとして、子ども達が「すでにまえもって在る方法論」が通用しない存在であることは確かだ。振り回されたり、待たされたり、追い掛け回したり、その場その場はもう方法論もクソもない。(おっ、やっとウンコネタが出ましたね。)とにかく、「ああ、いまはそうしたいんだね、はいはい」というところで、一方的な交渉成立。「まぁ、いっか・・・」と、いま目の前に問題現象(子ども)に付き合ってみる。後になって、「ああすればよかったのかなぁ」なんてぼんやりと思うことがときどきあっても、また同じような状況で、それが通用するともかぎらない。っていうか、そんな反省したことすら覚えてないし。でも、いまこういうこと書きながらいろいろ思い出すと、確かにそのときは大変だったけど、今になってみるとその記憶はある種の甘酸っぱい、甘い感触。それだけでももうけもんか〜、なんて思ってみる。

その3
スリング。何をか糞う、うわ、変換ミス、何を隠そう、この僕も愛用者だった。今でこそだいぶメジャーになったが、ぼっちゃんのころはまさにメジャーになるかならないかのほんとの過渡期で、女性でもスリングの存在を知らない人が多数。そんなご時世に、妻が美容室で髪を切っている間、スリングでぼっちゃんを吊るし、タワーレコードのセール棚をあさり、古本屋を見てまわるむさくるしい男が一人。そういえば、うちのぼっちゃんはスリングに入れたとたん寝息をかきだした。よっぽど寝やすい環境なのだろうか。あの中は。
そういえば僕がスリングで子どもをあやしている姿をみて、ある男が「あ〜あ、そんな格好して、男として恥ずかしくないのか」みたいな意味のことを(大意として)僕に言ってきたことがあった。70過ぎの、おそらく自分の子どものオムツも変えたことないような世代の男。めんどくさかったので適当にあしらった。
「そういう人にこそ、男子の子育てへの参加の意義を説き、当人の意識を変えていくべきだ」という正論も、たしかにあるだろうが、僕は残念ながらそこまで誠意にあふれた善良な人間ではない。そんな年寄の相手しているヒマがあったら、ぼっちゃんと遊びたい。むしろ、70数年もそういう頭で生きて来れたことは、それはそれですばらしいことだと思う。それを悪く言う権利は、たぶんだれにも無い。たぶん。それに、ほっといてもあと20年、いや、10年もすれば彼らの世代は確実にこの世から消えていく。

その4
ぼっちゃんにとってはいとこ、僕にとっては姪っ子にあたるふたごたち。5歳の彼女らに「おじさん」でもなく、苗字に「さん」づけでもなく、下の名前に「くん」づけで呼ばれるこの30過ぎの男の威厳の無さ具合はどうよ?ときどき「メガネ野郎」(メガネをかけているから)、「ポケット男」(ツイード・ジャケットを着てるとき)、パンダ男(車のキーに新潮文庫の全プレであてたパンダのキーホルダーをつけているから)と呼ばれる30過ぎの男の威厳の無さ具合はどうよ?そういえばこのあいだ小学生のとき以来に、「カンチョー」(あの例の、指で相手のお尻を攻撃するやつ)された。
あるとき、「・・・は、大人はいいんだよ」という話になって、そのときのふたごのセリフ。「でも、(このなかで)大人は4人でしょ?」
その場にいたのは、義母、義姉、義兄、妻、ぼく、そしてぼっちゃんとふたごたち。大人は4人?誰か抜けてないか?
そんな大人の威厳もクソも無い男が書く「子育て記事」って・・・ど、どうなんだろ?