無題四題

supply72008-08-16

その1
ふだんは整然と積み上げたり、並べるのが好きなのだが、あえて滅茶苦茶に積んでみた。なるべく不規則に、デタラメに。でも、いつのまにか、どうしても規則性が出てしまう。2つ積んで3つ寝せて・・・とか。不規則性を気にしだすと、ますます規則に縛られてしまうかのようなアリ地獄。
ぼっちゃんはというと、ときにとんでもない積み方をする。「それって、どんなバランスやねん!」な積み方を。僕が失い、そしてぼっちゃんがまだ持っているものを見た気がした。

その2
「子どもの頃、周りにいたひとで、よく帽子をかぶっていたひと。そのひとにどんな気持ちを抱いていたかを思い出せ」と、うまれてはじめて看てもらった占いのひとにそういわれた。謎の多いお告げのなかの一つだが、盆正月にしか会わない母方のじいちゃんも、一緒に住んでいた父方のじいちゃんも、2人ともよく帽子をかぶっていた気がする。っていうか、あの時代の、あの年代のひとたちって、よく帽子を被っている。父方の祖父はいつも僕を保育園に迎えに来てくれていた。長身の、帽子を被った祖父は、途中、よく日陰で休憩しながら、僕の手を引いて(かどうかは記憶に無いが)、僕を家につれて帰った。子どもの頃の僕は、そのときの気持ちは正確には思い出せないが、この休憩がとてもまどろっこしかった気がする。
日陰にしゃがむ祖父。強い日差しとアスファルトの上の濃い影のコントラスト。今書いてきづいたが、強い日差しとアスファルト、そして影とのコントラストって、ホッチキス保育園時代に撮ったぼっちゃんとの散歩風景の諸々の写真のなかでも一番多い要素かもしれない。

その3
両親が共働きだったので、祖父と子ども時代を過ごした時間は、きっと思っている以上に長いだろう。きっと、自分で思っている以上に彼から考え方や、性格などを受け継いでいるのではないかと思う。子どもの頃の僕は、どんなふうに彼のことを思っていたのだろう。うちのぼっちゃんは、僕にどんな気持ちを抱いているのだろう。そんなことを本人に聞けるときには、本人すらどんな気持ちだったか覚えていないのだろうけど。

その4
ぼっちゃんが昼寝して、ひさしぶりに一人になる時間ができたが、8月に入ってからの疲れで頭が働かない。とりあえず手近にあった本を手に取る。ぼんやりした頭でフロイトの『夢判断(下)』のページをめくていると、病死した子の看病をしていた父親が、遺体のすぐ近くでうたた寝してしまったときの夢の話に出くわす。その夢は子どもが父親のベッドのわきに立っていて、「お父さんには僕がやけどするのがわからないの?」と非難するように呟くというもの。父親がはっと目をさますと、遺体を囲む蝋燭の一つが倒れて、経かたびらと片腕が焼けていた。
もちろん、蝋燭から引火した炎が閉じた瞼越しに眼に伝わって・・・というふうに解釈することは可能だが、と前置きしつつ、フロイトが付け加えるのはつぎのようなことだ。「お父さん、わからないの?」という言葉は、父親と子ども本人にしかわからない激しい情動をともなった別の事件に結びついているということ。そして、なによりも、瞼越しに炎を知覚しているにもかかわらず、父親が覚醒を一瞬遅らせ、夢を見続けたのは、夢の中で子どもが「生きている」からである。この場合、覚醒と夢の終りは子どもが生き続けているという父親の願望的状況の終りを意味している。子どもが生きているということを示すために、そしてその願望充足のために、覚醒は一瞬先送りされ、眠りは一瞬先延ばしされたのである。
昔読んだときは特別な感慨も無くふ〜ん、って感じだたけど、親になった今、偶然とはいえこの箇所を読んで、なんかじ〜んときた。「お父さん、わからないの?」ってところが、やけに心が痛んだ。本当に言われそうで。