どこか遠くから、大切に。

supply72008-08-15


 長崎は、お盆です。
 たぶん、長崎のお盆は、日本の中では、かなりクレイジーなものに映ると思います。まずは墓で楽しく飲み食い。私も昨日は親類の墓で、焼鳥を食べながらビールを3本飲みました。そして花火をします。「手に持つな」という注記は、長崎では「気をつけて持ってね」と読み替えられ、手で持つ花火は、2〜3本まとめて点火。子どもたちは、お墓で親戚に会うと「花火代ね」といって、お小遣いをもらいます。長崎のお墓は暗く寂しい場所ではなく、むしろ、久しぶりに人と会い、楽しいひとときを過ごせる、楽しく賑やかな場所です。写真は、お盆の墓場と夕暮れ。モクモクしているのは、花火と爆竹の煙です。
 15日の夜は、精霊流し。そばにいる人とも会話が不能になる爆竹の音に包まれて、死んだ人が乗る船が、繁華街や官庁街の道を占領し、ゾロゾロとあの世へ続きます。その船は、大きなものは出来合いだったりしますが、だいたいは、家族親類総出で、何日も前から作ります。当日の喧噪ばかりが目につきますが、船を造っているその時間…亡くなったばかりの悲しみはひとまず薄れ、わいわいと笑いながら、思い出話に花を咲かせるその時間は、死んだ人にとって、どれほど供養になるでしょうか。さらに、船そのものや、先導する灯籠には、故人が好きだったものを盛り込むのが一般的です。ということで、その人をまったく知らない見物人も、「あら〜、あの人はゴルフが好いとらしたとばいね〜」などと、にわかに偲ぶことができます。
 ヒコも、ここ1週間ほどの間に、製作中の精霊船を見かけては、「あれなに〜?」と聞いてきました。「精霊船よ」「しょうろうぶねって、なに〜?」「死んだ人が乗る船さー」「しんだひとって、なに〜?」「うーん、もういなくなっちゃった人のこと。まんまいまー(なんまいだー:ヒコ語)した人のことだよ」「まんまいまーのひとが、のると? どこにいくと?」「ふふ…西方浄土だよ」「さいほう…じょ?…ってなに〜?」「とおーくのねー、あの世、天国、…どこだろうね〜?」と、問答は延々と続きました。ヒコの中で、どんなふうに理解されたのでしょうか、後日、私の母に「しょうろうぶねは、しんだひとがのっとるとよ(乗ってるんだよ)」と、説明してくれたそうです。
 死んだ人が、なんだか一緒に生きてくれているという感じは、子どもにとっても安らぐことなんじゃないかな、と思います。目の前にはいないけれど、自分とつながる人が、どこか遠くから自分を大切に思ってくれているという感覚は。今年はさすがに、お墓の花火を怖がりましたが、どんどんお盆を楽しんでくれるようになるといいな、と思っています。