やっぱりお母さん

ウンコネタ満載の土曜日へようこそ。今日もパンツでウンコしたぼっちゃんのウンコを処理しようと、そーっとパンツを下ろしていたら(言っときますけど僕のじゃなくて、うちの子のパンツですよ)、勢いあまって畳の上に具を落としてしまった。落下するウンコは僕の手の上でワンバウンド。ワンバウンド・ウンコ。なんかスリーポイントシュートとかリバウンドとか、うろ覚えなバスケ用語っぽい。でも、こんなことはよくあること。それから自分が便秘気味なとき、両の手に溢れんばかりの見事なウンコを見せられたときには、わが子ながら嫉妬すらおぼえてしまう。

僕はたった半年間だったけど、ぼっちゃんと一日中(厳密には夕方、妻が仕事から帰ってくるまで)2人っきりという状況を経験した・・・と思う。たぶん、あれは確かに自分自身の経験だったと思う。もしかしたら双子の弟の記憶を自分のものと誤解して取り違えているかもしれないが、双子の弟も兄も妹も姉もいないから(双子じゃない3つ違いに妹はいるが)、たぶんあれは僕自身だったのだろう。ややこしくなるからあれは僕自身の経験だったとしておこう。つまりこういうことだ。僕は事実問題としても権利問題としても、「一日中ぼっちゃんと一緒にいないモンにはわかんねえべ!」と叫ぶことができた。実際には叫びそうになったとき何かがストッパーになって叫べなかったけど。あと、「ふん、どうせお父さんじゃだめですよ!」と叫ぶこともできた。やっぱり何かがストッパーになって叫ぼうとしても叫べなかったけど。ということは、この二つの一見するとすれちがいそうな悩みのあり方は、一つの人格の中で両立しうるということだ。そんなもん両立させてどうする?きついだけだろ?と、われながら自分でツッコミというか蹴りでもいれたくなるが、結局のところそこから何が言えるのかというと、途中の思考経過はすっ飛ばして結論だけ言うと、「やっぱ、お父さんがどんなに頑張っても、頑張らなくても、子どもにとってはやっぱり『お母さん』なんだよね」ということだ。

だから、このことだけでも世の中のお母さんたちは自信をもっていいと思う。なんて、一番自分に自信の無さそうな土曜日担当カンガルーが言っても説得力ないだろうけど。子育てを経験したお父さんがよく「お父さんにも子育てができるということがわかりました」なんてインタビューで答えたりするけど、もし僕が同じ質問をされたら、「やっぱ、子どもにはお母さんが大事なんだなと思いました。お父さんなんてオマケみたいなものですね。」とインタビュアーの意図裏切りまくりブッチギリな答えをすると思う。実際、お父さんががんばればがんばるほど、子どもはそのお父さんを踏み台にして、ガンガンに踏み倒して「お母さんLOVEパワー」を上げていくのだ。こう書くと「お父さんは子育てに参加しなくてもいい」ということになりそうだけれど、そうではない。やってみればそう難しくないことのほうが多いので、技術的に可能なことはお父さんでもどんどんやるべきだと思う。「自分の子どものウンコ処理ぐらい手で拭いてやれ。あと、その手をまんべんなく舐めろ」とまでは言わないけど、お父さんでもやれることはたくさんある。問題はできないことの限界を汁ことだ。じゃなくて、知ることだ。汁を出してどうする?何の汁だ?ところでその限界とはズバリ「自分がお母さんではなくお父さんである」ということだ。残念ながら、今の僕でもこの点で悩むし、自分を責めてしまう。でもそれはきっと僕がまだ単に甘ったれているだけのことなのだ。

長く書きすぎて、何が言いたかったのか忘れてしまった。もしかしたら最初から言いたいことなんてなかったのかもしれない。
ぼっちゃんは昨日から38度越えの発熱。今朝には平熱にもどって昼寝の時間も惜しんで元気ピンピン走り回っていたのだが、夕方からすこし熱が上がった。しかし町の福祉夏祭りに行って、お風呂から帰ってくると、元気もでてきて熱も下がった。明日からトンビ家のみなさんと山陰旅行なのだが、大丈夫か?ぼっちゃん?