最近見なかったけど

いままでのパンダのデザインも可愛くていいんですけど、テキスト部分がものすごく縦長に表示されて、読むのにすごくスクロールさせなくてはならなかったので(もしかして僕のパソコンだけですか?)、自分勝手かなと思いつつ、試しにデザインを変えてみました。でも「やはり前のほうがいい」または「これはちょっと・・・」という場合にはいつでも連絡ください。すぐに戻すか、他のデザインに変えます。

この町での暮らしもすいぶん長くなる気がします。僕も妻もまったくのよその土地で生まれ育ち、いろいろな縁があって、この町で暮らすようになったものの、親戚も友人のまったくいない、コンビニもタワレコ紀伊国屋丸善もない、一番遅く開いてる店でも10時までというこの土地での生活は、新鮮なような、心細いような・・・確かに、親戚も友人もいないと言う意味では大学に入学して一人暮らしをはじめたときと同じようなシチュエーションではあるけれども、もうそんなことではしゃぐ歳でもなく・・・。特に僕の場合、ぼっちゃんが生まれるまでは、大学院は別として、妻以外の人間と話すことがほんとうになかった気がします。

そんなふうにひっそりと生きていた僕ですが、妻が産休を終えてぼっちゃんが保育園にいくまでの約半年間、かなりの町民に目撃されていたようです。いまでも一人で買い物に行ったりすると「あれ?こどもは?」とよく知らない人から声をかけられたりします。ぼっちゃんが保育園に通うようになった後はしばらく「最近見らんかったけど、どうしたの?」と、顔はなんとなく知っているけれども話したことないおばちゃん達にに声をかけられたりしました。あと、ぼっちゃんと同じぐらいの子どもがいるお母さんたちにも「最近、見かけなかったようですが・・・」とよく言われました。

九州の山間にある小さな町。同じ苗字のひとたちも多く、みんながみんな、どこかでどうにかして親戚だったりする手ごろな規模のコミュニティは、良く言えば古き善き共同体的なものが何とか生き残っているけれども、多少とも保守的な空気があるのもまた実情。真昼間に、いい年をした男が、子どもをスリングに吊るして、あるいはベビーカーにのせて町内をフラフラしているのはかなり奇異なものだったようです。

これは自分のブログにも書いたことですが、一度、ぜんぜん知らないおばちゃんから「その子はお母さんおらんの(いないの)?」とすごい剛速球をストレートでくらいました。う〜ん、やはり田舎はおおらかでストレートだなぁと、当時は「俺さ!このあいだスンゲーこと言われたんだぜ!」と飲み会での話のネタにしてしまったわけですが、でも、もしそのときの僕が妻に先立たれ、「ああ、僕ひとりでこの子を育てていけるんだろうか?」なんて悩んでいるシングルファーザーだったら、この一言で「ああ、やっぱり世の中はそういう風に見てるんだ・・・」とかなりのダメージを負ったのではないかと、後でふと思いました。もちろんただの推測ですが。

でも、今思うと、それでもやはりそういうふうにして過ごす時期があったといことは、よかったのではないかと思います。町の人たちも、最初はただの物珍しさだったかもしれませんが、ぼっちゃんのことを「いつもお父さんと散歩していた子」と覚えてくれた人たちがいることもまた事実なわけです。

まことに漠然とした言い方で申し訳ないですが、ぼっちゃんと過ごすことによって、それ以前よりも、すこし「人間」になったのではないかという気がします。何をもって人間と呼ぶのかはまた一考を要すべきことですが、町中の人から奇異の眼で見られ、ウンコとシッコにその手をまみれさせ、一日中抱っこして、すこしでの気が緩むと泣かれ、自分の時間もままならないという非人間的な状況が、逆説的にも僕をすこし人間のほうにシフトさせてくれたような気がします。(それ以前はでは一体何だったのか・・・?)すっかり本とCDの世界に没入していた僕を、多少なりとも人間世界へ近づけてくれたことに関しては、ぼっちゃんにお礼を言わなければならないでしょう。やり方はあまりにもスパルタ式だったような気もしますが。