TJと、そこにある笑い

先日、テレビで「レッドカーペット」というお笑い番組(?)を見た。基本的に、お笑いが大好きだ。特に今は「オードリー」というコンビと、名前はわからないけど餅つきをしながらネタをいう人達が好きだ。ちなみにフォーエヴァー・フェヴァリット・コメディアンは江頭2:50だ。

そういえば「自分でテレビを能動的に見たこと」って、すごい久しぶりじゃね・・・?と思った。いや、先日もモギケンのプロフェッショナルを見たから、久しぶりってほどじゃないけど、とにかく、ぼっちゃんや妻がそれぞれ保育園や職場に出て行ったあと、うちでテレビがついていることってまず無い。
そのかわりパソコンが置いてあるテーブルの隣のあるオーディオ装置は、はっきりいって一日中フル稼働で働いている。今もチェリビダッケのむさ苦しい演奏を頑張って出力中だ。

特にここ数年は朝晩の教育テレビしか見ていない気がする。ピタゴラスイッチとか、いないいないばぁとか、ゆうがたクインテントとか・・・。ちなみにぼっちゃんお気に入りは番組は朝7時からの「シャキーン」だ。
この番組に出てくるあやめちゃんという女の子がお気に入りなのはもちろん、木こりの兄弟も大好きだ。彼らはひらがなの長文が書かれた丸太を前にして「ところで兄さんどこで切る?」「俺だった〜らここで切る!ウゥォーリャー!!」と切ると、そこで分節されて一つの文章としての意味が生まれる。同じことを弟もやるのだが、きり方によってもともとは同じ文字の配列だったものが別の意味になる。
たとえば「とらいしたべる」を「とら」のところで切ると「虎、石食べる」となるが「た」のところで切ると「渡来した ベル」となってベルという宣教師が渡来したという意味なる。今思いついた例なので超適当なのだが、だいたいこんな感じだ。
ただ、ぼっちゃんにはそういうことはどうでもよくて、とにかく兄弟たちが「ウゥォーリャー!!」とギコギコのこぎりを動かすところが面白いのだ。

ここでふと気づいたのだが、実際はテレビ以上にビデオを観ている。このあいだレンタル落ち100円ビデオの「きかんしゃトーマス」や「トムとジェリー」(以下「TJ」と略)を何本か買ってきたのだが、とにかく「TJ」を見ては大笑いの日々だ。もちろん、この場合の主語はぼっちゃん、だけど。

「TJ」って自分が子どもの頃は夕方の5時半ぐらいから、再放送でよくあっていて、それ見ながら夕飯を食べていたのを覚えている。むかしはその時間帯って、よくアニメの再放送があっていて、ガンダム(もちろんファースト)も「あ〜、またジャブローの戦いか〜」とか思いつつ何回もみた。

いま見てみると、「TJ」って、けっこうバイオレンスだ。あと、失恋したTJたちが肩を落として線路の上に座ると、遠くから汽笛が聞こえてきて・・・The Endとか、けっこう大人な演出だ。
しかし、どのエピソードも全体的なストーリーはどうでもよくて、とにかくドタバタギャクがこれでもかと続くのである。そしてこれこそがTJの最大の魅力だと思う。

それにしても、ほんとうにどうしてあんなに面白がるのだろう?いや、確かに面白いんだよ、「TJ」は。それは神に誓って認める。でも、「フライパンで顔ぶん殴ると顔がフライパン形にひらべったくなる」とか「相手が口にくわえたストローの逆から息を吹き込むと、顔が風船のように膨らんで、口を離すと風船のように飛んでいく」そういうことが面白いと思えるのはどういうことなのだろう。別に教えたわけではないのだが。

ただ、見ていると、音楽と効果音と動きのシンクロが実に快楽的と言いたくなるぐらいに気持ちいい。もしかしたら、こういうことってストーリーの思想性とか、絵の書き込みの細かさとかよりも、ずっとアニメーションの面白さの本質的なものなのかもしれない(賛否両論あるようだけれど、そういう意味では「崖の上のポニョ宮崎駿の最高傑作だと個人的には思っている)。
ぼっちゃんは表現の背後の面白さを読み取って面白がっているのではなく(概念的把握ではなく)、「音楽と運動とスリルとスピードのごった煮としての面白いもの」を身体的な反響をもって面白がっているのかもしれない。

本当は、先日、車のなかでスガシカオの新譜をかけているとぼっちゃんが「これ、なんの曲?」と聞いてきて「おお!ぼっちゃんもシカオちゃんの魅力がわかってきたのか?!」とちょっと嬉しくなったことを書こうと思っていたのだが、全く別の話になってしまった。


(追記)
出産準備品ベストテン(あるいはスリー)については、妻に書いてもらおうかなと思っています。