「だいすき〜」は何を目指すか。

 「だいすき〜」
 ヒコにこう言われると、ドキッとします。それは9割がた、私との関係を仕切り直そうとしている合図だから。私がヒコを怒ったとき、ヒコとは関係のないところで機嫌が悪いとき、機嫌は悪くないけれど、ヒコに気持ちがないとき、など、「だいすき〜」が出現します。それによって、「あれ?なんか寂しい思いをさせた?」と思えば、こちらも「だいすき〜」を返して平定しますが、明らかにヒコに対して怒っている時には「じゃぁ、せんでていうたことはせんでよ!(してはダメと言ったことはしないで)」などと、どうしても「だいすき〜」返しができないことがあります。するとヒコはまた「だいすき!だいすきしてよ!」と、改善を迫ってきます。
 言葉は、必要だから生まれたのだな、と思います。
 言わなくていい時には、出てこない。「言いたい時に出てこない」とか「言葉を出したいのに、身体があまりに疲れていて出てこない」ってこともありますが、通常の状態であれば、必要な時に…言葉によって、なにかを方向づけたい時に、出てくる。たとえば「部落差別をなくしましょう」という看板が、その手の差別が顕在化していないところに掲げられていることってないから、その看板を見ると逆に「このへんには、そういう差別がまだあるんだな」とわかってしまう。だからといって、なにも言わないでいるのはまた、解決が遠のくばかりなので、ヒコも「だいすき〜」と近寄ってくるのでしょう。
 ヒコの言葉が、めきめきと増えてはいるものの、まだまだ原始的な段階なので、教えられることがとても多いです。言葉は、それがたとえ過去のことについて語っていても、ある面では、前へ前へ進んでいるものなのだな、と思います…ってとこに行き着くとは思わなかった、初の翌日投稿の朝でした。